ヤマトが流通のセンターであった、ということに関連して。当時、人の移動はどれくらいあったのでしょうか? 古代に長距離を移動するイメージがあまりありません。

残念ながら、モノの移動から知識の移動、それを担う人間の移動は想定できても、それが確実な証拠となるわけではありません。しかし、例えば埼玉県の稲荷山古墳、熊本県の江田船山古墳から、5世紀の雄略朝において国家の官職を得た記録がみつかっていますので、何らかの人の移動が確実にあり、東国や南九州の人々の一部がヤマトへ出仕し、王権へ奉仕していたことは確実と考えられます。前方後円墳の全国的展開をみても、王権を中心とする分布範囲に人間の移動があったことは、間違いないものと思われます。