円筒埴輪が何を表していたのか、よく分かりません。辟邪だとしても、なぜ円筒だったのでしょうか?

弥生時代のところでお話ししたように、中国地方は早くに青銅器の祭祀から逸脱し、墳丘墓の祭祀へ移行してゆきます。古墳自体は、出雲から北陸にかけて始まった四隅突出型墳丘墓などが嚆矢です。古墳に使われる埴輪は、吉備地方において、墳丘に備える須恵器などを置いた円筒形の器台、これが特徴的に巨大化した特殊器台が原型です。これが円筒埴輪となって、古墳の表面に配列されてゆくことになります。これももともとは、地域の知識・技術・祭祀の結集である前方後円墳祭祀において、各地の特徴的形式のひとつとして盛り込まれたものでしょう。