現実の世界の武器などから発展した辟邪紋様から、死後の世界のイメージを伝える壁画へと変化した理由は何でしょうか。

石棺や石障を辟邪文様で覆い尽くすメンタリティーは、前期・中期の遺体に対する呪術的態度の延長と考えられます。竪穴式石室の密閉を、石棺レベルで再構成したようなものでしょう。これは、生者が自分たちのためにしたものです。死後の世界の具体的なイメージが描かれるようになるのは、上にも回答したように、死者が安らかに死後の世界へ到達できるよう、願いを込めたものと考えられます。つまりこちらは、生者が死者のために施したものです。契機は朝鮮半島から新たな喪葬様式が導入されたことによりますが、死者や死後の世界に対する感覚が、大きく変わり始めていたことが背景にあるのでしょう。古墳時代を通じて政治的な色彩の強かった古墳が、喪葬というものの原点へ回帰しつつあったのかもしれません。