継体は北陸のグループであったとのことですが、実力があったと判断できるのはなぜでしょうか?

それ以前の実力重視の王権において、大和でも河内でもない、これまで大王を輩出していない地域から選ばれて即位したからです。万世一系を建前とする『日本書紀』が、武烈からの断絶を語り、「応神天皇五世孫」として掲げてくるわけですので、実際はそれまでの王統とはほとんど無関係の人物だったのではないかと考えられます。飛鳥王朝は、古墳時代実力主義の名残として、群臣層の承認を推戴を受けなければ即位を認められません。継体には、大和の豪族たちを納得させる力があったということでしょう。