「血縁原理の導入」とあるが、もともとは中国や朝鮮のものだったということでしょうか?

実力主義で推移していたと考えられるヤマト王権の継承原理に、中国王朝で使用されていた父系直系継承をはじめ、王朝を血縁によって運営してゆく仕組みが導入されてくるということです。弥生時代の段階からお話ししているように、邪馬台国からヤマト王権においては、前代の政治的成果を次代に安全に引き継がせ、そのことによって王権を永続的に維持する仕組みが模索されてきました。倭の五王をみると、幾つかの血縁グループが親子・兄弟間で大王位を継承していることが分かりますが、そのグループの勢力が衰えてしまうと、競合する他のグループへ大王位が移行する。その折に、場合によっては政治的な危機が訪れることになる。中華王朝などは、それを回避するために後宮を置き、現王帝の子息を複数生産する仕組みを確立して、そのなかで父から子へ王位・帝位を継承し続けるシステムを作り上げたわけです。ヤマト王権もそれに学び、安定的な継承のシステムとして血縁原理に注目していった、その結果が天皇制なのだということです。