中国や朝鮮は、何度も王朝が交替しているにもかかわらず、過去の史料が残っているのはなぜなのでしょう。偶然残ったのでしょうか?

中国王朝においては、先行する王朝の歴史を客観的に叙述し、後世に伝えてゆくことがひとつの使命とされていました。編纂に当たる史官の立場からすると、その仕事が後世の学者たちに批判的に読み込まれることになりますので、天を基準にバランスを保ち、現王朝のベクトルと一体化せず客観的に叙述することが理想とされたのです。もちろん、それでも恣意性に堕してしまうこともあったのですが、正史としての二十五史全般にわたり、すべてを自分の利益になるよう歪曲して書く、ということは行われませんでした。こうした編纂事業との関係もあり、中国では前王朝の記録の保存が図られたのです。なお、朝鮮は三国の対立のなかで貴重な史料が潰えてしまい、古代のありさまは、中世に編纂された『三国史記』『三国遺事』を批判的に活用してゆくしかありません。ただし、近年の発掘によって、杵気分や竹簡などの出土文字史料が多く見出されており、半島の古代を考える重要な手掛かりとなっています。