神殺しについてですが、このような思想が展開されたあとも、民衆のなかに自然崇拝は残ったのでしょうか。 / 神殺しのような思想が定着するには、ずいぶん時間がかかったのではないかと思います。天皇は、そのような神よりも偉いとされたのでしょうか?

もちろん、現在に至るまでアニミズム要素は残存しています。ただし、このような神殺し的なものも存在しますので、以降の時代、権力その他の誘導の仕方によって、両方の要素が繰り返し出現することになります。また授業でお話ししますが、天皇の存在などは、その両方に軸足を置く極めて矛盾したものです。一方で、天孫として他の地上の神々よりも優位であることを主張し、従属しない神格を殺害するような威力を持ちながら、一方でそれらの力に働きかけて天下の安泰や護国の豊穣を祈念する、といった具合です。一般民衆においても、神殺しは都合よく援用されてゆきます。中世後期以降、かつては神と崇められていた山の主、川の主などが、単なる畜生に過ぎないものと貶められてゆきますが、そうしたなかで語られ出す民話や伝説のなかには、蛇神や猿神を退治するものが非常に多い。いわば大開発の時代、自然環境と人間との軋轢の所産ともいうべきものですが、やはり神殺しの形式を援用しているのです。それらをみていると、列島の文化が自然環境と共生的だとはとてもいえない、という気になります。