蘇我倉山田石川麻呂は、本家ではないとはいえ蘇我氏の人間なのに、乙巳の変に関わることは大丈夫だったのでしょうか?

乙巳の変の前段階でみたように、それをいうならば、蘇我蝦夷は氏族中第2の地位にあった境部臣摩理勢を自殺に追い込み、入鹿は山背大兄王を自殺に追い込んでいます。蘇我氏内部が内紛状態になり、この当時中立的な立場を貫いていた倉山田家は、最終的にクーデター派に組みし、自身が蘇我氏の本宗家となることを志向したのでしょう。蘇我氏の氏族構成については諸説ありますが、7世紀前半の段階では、内政・外交・財政など、分掌する国務ごとに半独立的な状態に至っていたのではないかと思われます。本宗家が境部臣を粛清し、倉山田家に打倒されたことは、内政を担っていた集団が外交集団を牽制し、それに危機感を覚えた財政グループが密かに他氏と結びついて対抗した、とみることも可能でしょう。