朝鮮三国が、別々の方法で中央集権へ向かったことが面白いと思いました。なぜ三者三様なのでしょうか?
高句麗・百済・新羅、それぞれの王国の特徴と、その時代の状態が表れている、ということでしょう。高句麗は、三国のなかで最も古く、古朝鮮を受け継ぎその復権を果たさねばならないという意識を、濃厚に持った国であったようです。半島と中国王朝との境界をなし、これまで何度も王朝の介入に対して抵抗してきました。淵蓋蘇文が王を傀儡にして実権を掌握したのは、そうした度々の軍事行動において豪族の勢力が強大化していたためでしょう。それに対して百済は、王家内部の紛争の形で中央集権が果たされていますが、これは、王家が長く中国南朝に冊封されその高い文化性を受容し、そうした威信財をもって国家の統治を進めてきたことと関わりがあるのでしょう。最後の新羅は中国王朝との連絡路を高句麗と百済に阻まれ、文化的にも勢力的にも最も弱小でした。のちに、三国のうちで最も唐に親近しその文化を受容してゆくのは、そうしたコンプレックスの表れでもあり、三国間の闘争のうちで一足飛びに「近代化」を果たさなければならなかったためと考えられます。