戸籍が作成されたあと、戸籍登録者と無国籍者とは、どのように共存していたのだろうか。

奈良朝の律令体制以降も、戸籍が定期的に編纂されるなかで、海や山にはそれらに貫付されない人々が、狩猟漁労その他を生業に、半ば移動をしながら生活していたと考えられます。稲を経済的単位の根本に据えた稲作至上主義のなか、水田耕作に従事しないこれらの人々は、次第に差別され排斥されるに至ります。しかし古代においては、未だそうした感覚は未成立で、里と山、里と海における物品の交換が種々進められていたと考えられます。王権自体も、それらの人々には租庸調ではない特別な税を課し、山海の産物を奉るニエなど、独自の貢献物を通じて弾力的に統括しようと考えていたもようです。