戸籍を定めて人びとを管理したいという気持ちは分かるが、読み書きのできる人は少ない時代で、どのように管理していたのだろうか。

古墳時代屯倉などへも、文筆をよくする渡来系のフミヒトと呼ばれる人々が奉仕し、文書行政を担っていました。もちろん、全国的ということになれば、さまざまに無理があったものと考えるのが妥当です。庚午年籍は全国的なものではなく、王権の直轄地や中央集権に協力的な豪族の統括地で、ようやく作成することができた試験的な戸籍だったのではないでしょうか。「氏姓の根本台帳」とは、それがヤマト王権支配層=畿内豪族のものであったことを暗示しているように思われます。