壬申の乱における地方豪族の不満に人口調査を関連づける考え方は、非常に興味深いと思いました。実際、豪族たちが具体的に中央政治の何に不満を持っていたか、示されている史料はあるのでしょうか?
残念ながら、それを直接的に示してくれる史料はありません。ただし、壬申の乱における近江朝廷の脆弱さは、その点を端的に表しているのではないでしょうか。実はこの内乱、両軍とも、庚午年籍に基づく徴兵によって得た兵力を用いて戦闘を行いました。大海人の軍は、近江朝廷が対新羅戦に備えて徴発しておいた兵を援用したのだと推測されていますが、同時に東国の有力豪族、大海人の拠点を形成していた豪族らのネットワークが活かされたのでしょう。一方の近江朝廷側も、実は天智から奉仕する蘇我果安ら首脳部を除き、現場で指揮に当たっていたのは、多く中央の中下級豪族や地方豪族出身者でした。彼らに大海人軍のような結束力はなく、乱の後半では互いに責任をなすりつけ合い、離反を招くなかで瓦解してゆきます。天智の実績と強いリーダーシップのもとでは随従していた人々が、大友には無条件には服属しなかったともいえそうです。