大海人皇子は当初は皇位継承を辞退したと聞きました。とすると、大友皇子との衝突は周辺勢力の圧力が大きいのではないかと思うのですが、調べる価値はありそうでしょうか。 / 吉野へ隠棲した大海人は、大津朝廷に対し政権奪取を目論んで行動していたのでしょうか。 / 天智が中国王朝化を志向し、それゆえに父系直系継承を目指したように、大海人も中国の諸制度を参考にしたと思うのですが、自分の即位に関わるとなると、そこは矛盾した行動を取ってしまうのでしょうか。

そうですねえ…大海人が本当に王位を継承する意図があったのか、それとも大友皇子に殺害されるのを恐れてやむをえず挙兵したのか、そのあたりのことはよく分かりません。しかし、彼が壬申の乱を負い目に感じていたことは確かで、ある意味では、天皇律令国家も、その負い目の重さが生みだしたといえるかもしれません。天武とその後継者たちにとって、自分たちを正当化する方法は2つありました。1つは歴史書に、壬申の乱を極力謀叛の内乱であったとは記さないようにすること。大友は大王に即位していた可能性が高いと思いますが、もしそうだとして『書紀』がその点を記述しないのは、大海人の行為が大王に弓引くことになってしまうためでしょう。そうして併せてもう1つは、大海人の即位があくまで天智の意向に基づくと喧伝することです。『書紀』には、天智が大海人へ譲位を申し出、大海人のほうがこれを辞退したのだと明確に書かれています。天智の本来の意図は、大海人の即位にあったと読めるように記述されているわけです。