「郡」「評」の相違は、飛鳥時代と奈良時代の境目であると、高校で習ったような気がします。持統朝で「評」表記の木簡がみつかった、ということに疑問を持ちました。

どこかで誤解があるのかもしれませんが、持統朝は時代区分でいえば、未だ飛鳥時代です。「評」表記は飛鳥浄御原令に基づくものとみられているので、大宝令施行以前はこの表記が用いられているのです。