飛鳥時代の死生観については、話がありませんでした。仏教の導入を受けて、どのように変わったのでしょうか?

飛鳥時代の死生観は、古墳時代のそれと大きな変化はありません。ただし宮廷社会とその周辺には、仏教的な浄土への往生を意図したような史料が散見されるようになります。この傾向は8世紀に至り、経典の願文にもみえるようになります。時代的には少々降りますが、奈良時代を通じて現れる重要な死生観の変化に、殺生罪業観があります。これは、生きとし生けるものが、みな生まれ変わり死に変わりを繰り返すなかで繋がった、かつての父母であり、兄弟姉妹であり、自分自身であるといった輪廻観と結びついています。ゆえに、それらの生命を奪う殺生は大きな罪となる、という考え方です。恐らくは、それまで日本列島に存在しなかった考え方で、飛鳥・奈良・平安を通じて次第に社会に定着し、ある意味で人々の心性をがんじがらめに束縛し、鎌倉仏教の誕生を促してゆきます。