文芸と藤原京による天皇の神格化は、民衆にまで浸透していたのでしょうか?

難しいでしょうね。ただし、朝廷の命令は、一応は必要のあるものは里長まで伝達され、庶民へ口頭で説明されることになっていました。別のところでもお話ししたように、調といった租税は、被徴収者が直接都まで運搬してゆくことになっていました。その折に通過することになる直線的道路の威容、辿り着いた都の、整然と区画された広大な敷地に壮麗な建物を有する風景は、人々に、自分が強大な力によって支配されていることを刻印したと考えられます。