当時の一般の人々の暮らしについては、どの程度分かっているのだろうか?
中世以降に比べて史料が少ないことは、やはり否定できません。ただし、それでも民衆生活の判明する史料はあるし、いろいろなことが分かってはいます。例えば、これは「庶民」とは呼べないかもしれませんが、東大寺の造営や種々の仏教事業に当たった造東大寺司の下級官人、安都雄足。彼は、奈良時代の正史『続日本紀』には登場しませんが、かなり事務能力の高い人間であったらしく、奈良時代の行政文書が一括して残った同時代史料の正倉院文書のなかには、頻繁に名前が登場します。彼は造東大寺司の公経済と自らの経済活動を巧みに連結させ、米の運用や荘園経営において、多くの利益を得ていたことが分かっています。また、平安初期に編纂された列島現存最古の仏教説話集『日本霊異記』は、奈良時代に官僧たちによって法会その他で語られた説話類が収録されており、そのなかには、一般庶民の生活のあり方や生業の様子、結婚や恋愛、信仰などを具体的にみることができます。『万葉集』にも庶民の歌をみることができますし、『風土記』にも地方の生活、民俗や伝承を確認できます。さらに考古学的成果と重ね合わせれば、そこからみえてくることは少なくないのです。