吉備真備は、阿倍内親王の立太子を正当化するために五節舞を用いたとのことですが、なぜ舞いなのでしょう。石やら鏡やらのほうが都合が良さそうですが…。

以前授業でお話ししたと思いますが、儒教では、礼に込められた社会秩序を一般社会に定着させてゆくためには、音曲によって人々の心を和す楽が必要だとする考え方がありました。これを礼楽思想といいます。日本では、大宝律令の制定によって、礼を構築するための法制度は整いましたが、中国では律令とともに編纂・制定される儀礼や楽舞の制度が、未だ完備してはいませんでした。吉備真備は、留学前に、恐らくは大学助や図書頭を歴任し礼楽の整備に心を砕いていた武智麻呂の命を受け、その吸収・消化のために唐へ派遣されます。帰朝の際には、やはり音律と密接な関係のある暦、造暦のために日時計のほか、『唐礼』130巻、銅律管・鉄如方響・写律管声12条などの楽器、『楽書要録』10巻といった音楽書を将来しています。そうした真備だからこそ、皇太子としての阿倍の立場を最新の礼楽の知識で正当化した、それが「天武天皇の定めた五節舞」を舞う、すなわち天武が国家に安寧をもたらすために作った舞を自ら務めることで、正統的後継者であると体現することであったと考えられます。