平安中期までの日本史の大まかな流れについて、「仮のまとめ」を作っておきました。今日、ここまでお話ししたかったのですが…すみません。今後の勉強の参考にして下さい。なお、最後に時間がなく付け加えられませんでしたが、こちらの講義は「進歩史観から零れ落ちたもの」を見出すのがひとつのテーマでした。講義が王権・国家中心になってゆくなか、皆さんのリアクションがそれとは異なる民衆の世界をみようとしていることが、非常に小気味よかったことをお伝えしておきます。

●自然環境との関係 →縄文〜平安期において、古墳時代を除き概ね温暖な時代。次第に王権・国家から一般階層へ、開発が大きく展開
・寒冷化の時代 →苛酷な情況のなかで権力が集中、王権・国家の成立の契機へ(戦争、内乱)
・温暖化の時代 →社会の下層に開発の気運が高まり、経済的・社会的変動が起きやすくなる
・環境の状態 →稲作の展開、古墳の造営・工業の展開、都市開発、荘園制・条里制を画期に、大地の〈ドメスティケーション〉が進む
・9世紀の災害多発 →政治・経済・社会の変動のさまざまな契機をなす
●政治 →東西日本が異なる社会的性格を持った情況から、流通の中心であったヤマトへ王権が成立。畿内豪族が結集して列島を統治する機構が形成
・中国・朝鮮との交流が大きなポイント →モノ・コトの威信財を得て活用、支配の正当性を構築してゆく
・王位の安定的継承が大きな課題 →実力主義から血統主義へ、父系直系継承のなかで、天智・天武の血を引く草壁皇子の子孫、これを外戚藤原氏(北家)が支える形式へ。その表現として、群臣による合議制/天皇親政/摂関制が少しずつ形を変えながら繰り返し出現
律令制/氏族制の二重構造 →倭の五王段階でみられる府官制が原型か。以下、両者の溝を近づける努力が払われ、奈良時代以降、律令制の改変、補足修正が行われて、王朝国家体制へと結びつく
●社会・経済・文化 →ヤマト王権から律令国家の成立期には畿内の権力が強大化するが、前後の時代は地域の社会・経済が独自性をもって活性化、中世へと連結
・常に大陸や半島と接触しそのヒト・モノ・情報の窓口であった北九州、中国・四国、北陸
・独自の権力基盤を持ち、中央の王権に対して自立的なポジションを保ち続けた東国(東海・関東)、南九州
・北方地域に連なり、社会のありよう自体を異質な状態を維持し続けた東北
➡常にアジア周辺諸国・地域との交流のなかで、すべての要素が展開。列島に生きる人びとの組成も含めて、切り離して考えることはできない