ナショナル・ヒストリーは、必要ではないものなのでしょうか。国家にとって、ある程度の統一感は必要に感じます。
皇国史観のところで触れたように、ナショナル・ヒストリーが基本的には怖ろしいものである、国家の目的に国民を動員してゆくために、その自由はもちろん、基本的人権さえ侵害する危険性を持つことを、まずは充分に認識すべきです。国家が正当なものとして公認し、普及を図ってゆく以上、その内容には一定の権威が伴ってもいて、それゆえに強制力が働きます。それでも、実証主義的な事実で構成されているうちはまだよいですが、多くは国家の政治的方針に基づいて都合のよい削除、隠蔽、歪曲などがなされてゆきます。それらはやがて狭小なナショナリズムと結びつき、歴史認識の相違から国家間の断絶を生み、国内外のさまざまなレベルの対立を呼び起こしたりもします。単純に、「統一感を保つために必要」といってはいられません。