水戸学についてですが、水戸学を興した水戸藩は徳川御三家、すなわち徳川政権の一部であるはずなのに、なぜ武家政権を批判しうる、王権を軸とした『大日本史』を編纂したのでしょうか。

徳川政権も、天皇から征夷大将軍を拝命している意味では、王権に依存した機関です。そもそも幕府とは、中国南北朝時代の府官制に起源する機関で、皇帝権力を分有する将軍が、内乱地域を安定させるため、一定期間臨時政府を設置することを認められたものです。日本の幕府は征夷大将軍が開設するものですから、原則としては蝦夷の反乱を鎮め東国を安定させるため、天皇の承認を得て(天皇の意向を受けて)運営されている朝廷の外部機関にほかなりません。そうした意味で、武家が「勤王」であることは当然なのです。水戸藩は将軍家を牽制する意味でも、武家の原理原則を再確認しようとしたともいえます。