復古神道の三派が勃興する以前は、神道の最高神は定まっていたのでしょうか?
古代の、国家主導の神祇制度においては、最高の位置に付いていたのは皇祖神のアマテラスでした。しかし、『古事記』や『日本書紀』のなかではそれが必ずしも一貫しておらず、また天皇中心の構成にもなっていません。どうやらアマテラス以前は、造化三神のうちのタカミムスヒが最高神であった可能性も浮上しています。中世には神仏習合が進み、また儒教や道教の要素も採り入れられて神道が構築されてゆきますが、古代におけるアマテラスの位置づけは踏襲されていたものの、その様相は蛇神になったり男神になったり、変転を繰り返していました。また、もともと列島諸地域に広がる神祇信仰においては、中央の天神地祇のパンテオンとは関わりのない、より多様な神格が息づいていました。江戸時代以前、各地において「歴史」が多様であったのと同じ情況です。これらは社会のより深い部分で、基本的には現在に至るまで息づいているため、そもそも「神道」のレベルのみで「最高神」を語ること自体がナンセンスなのだといえるでしょう。