講義とは直接関係ありませんが、『古事記』や『日本書紀』に人類創造の話がないことは、前から疑問に思っていました。
実は、イザナキ・イザナミに類する始原の兄妹・夫婦神が、現在の民族の祖先を産むというタイプの民族起源神話は、東アジアの少数民族の間に広く残っています。そこではヒルコを想像させる肉塊から、人間と羊や豚が生まれたり、あるいは隣接する民族が複数生まれたりする形で語られます。『古事記』の神話では、イザナミを失って黄泉国へ赴き、彼女に追われて地上へ逃げ帰ったイザナキが、アマテラス・ツクヨミ・スサノヲの三貴神を生むことになっています。しかしこれは、本来は複数の民族を生む神話だったのかもしれません。あるいは、神々の発生する姿として語られるアシカビ、すなわち春の低湿地に一斉に生え初める蘆の芽が、そのまま人間の発生であった可能性も考えられます。『古事記』においても『日本書紀』においても、神と人間とは明確に区別されておらず、また人間はヒトクサと呼ばれているためです。人間が草木から生まれてきたという神話も広く東アジアに認められるので、神=人=草木という図式が成り立つのかもしれません。