近世まで、統治者の権威・権力には呪術的信仰が伴っていたというが、現代では、合理的でなければ民は信用しないだろう。この違いは、信教の自由がもたらした変革によるものだろうか?

どうでしょうか。われわれが、それほど合理的・論理的に思考判断できる主体かどうか、あまり過信しすぎるのもよくないかと思います。まあ、個人の政治的志向が入ってしまいますが、本当にぼくらが合理的なもののみを支持するのであれば、これほど疑惑や汚職や失言や虚言にまみれた安倍政権が、高支持率をもって持続するはずがありません。……それはさておき、例えば、われわれにとって経験を超える科学は呪術や信仰と同じである、という考え方があります。われわれは、地球がひとつの惑星で、その外側では宇宙が拡大し続けている…と、一般常識的に考えています。しかし、われわれのほとんどは、そのことを経験的に確認してはいません。自分で実際にみていないことを、国家の教育やメディアを通じ、真実として認識させられているに過ぎないのです。つまり、政府やマスコミ、学者などの〈力〉によって、われわれの心理において、不確かな情報が真理性を獲得してしまっているわけです。われわれひとりひとりのあり方からすれば、それは、ガリレオコペルニクス以前に、天動説を真理と思い込んでいた段階とまったく相違がありません。