神の身であることが苦しみを招き、それが人間を間接的に苦しめ、罪とされてしまうのでしょうか。それとは別で、天界にもある老衰死に苦しむことで、それが影響するのでしょうか。また、神は離脱したあと何になるのでしょうか。
中国で作られた神身離脱の形式において、神が苦しむ存在、罪を作り続けるものとされたのは、まずはその信仰のあり方にあります。中国における祠廟の神々に対する祀り方は、当時、酒と肉を供えて祈願するのが一般的でした。これは、超越的存在に犠牲を捧げる供犠の形式を引き継いでいるのでしょう。しかし仏教においては、何者かに要求して酒を飲むこと、肉を食べることは、最も基本的な戒律である五戒のうち、不飲酒戒と殺生戒に抵触します。また、人間の祈願に答えることでその欲望や執着を一層強めてしまうこと、災害をなして人間に苦しみを与えることも、罪業と捉えられたことでしょう。それゆえに神は、自己の存在に苦悩し、離脱を求めるものと考えられたのでしょう。