「文字を失う」伝承のお話がありましたが、そんなことは本当にありうるのでしょうか。アジア圏にそうした伝説が多く残っているということは、何か理由があるのでしょうか?
世界には、「かつては盛んに使用されていたけれども失われてしまった」文字は幾つも存在しますので、民族が「文字を失う」ことはありえないことではありません。ただし、アジアなどで広汎にみられる文字喪失伝承は、例えば東南アジア地域の歴史人類学的研究で知られるジェームズ・スコットなどは、その本質は文字の拒否にあると考えています。これは、文字文明が非文字文明よりも高度であり、発展した結果であると考えている人びとには理解できないかもしれませんが、領域国家による支配を否定するために、それに連なる文字、水田耕作、権力の成立などを拒否してきた文化があるという見方です。ヨーロッパ文化の基礎ともいうべき古代ギリシアにも、プラトンの『パイドロス』など、文字使用に対する否定的な思想は確認できます。文字というものは、かつてはいまの私たちが考える以上に、マイナス要素の強い両義性を帯びていたのかもしれません。