そもそも、なぜアイヌに対して差別的な考えが生まれたのですか? / 言語や服装、文化の相違が原因でしょうか? / 松前藩とアイヌが、意識的に平等だったのはいつまででしょうか?

アイヌの人びとに対する差別感情は、古代の蝦夷の人びとに対するそれに起源します。古代国家は中国王朝の中華思想を受け容れ、自らを世界の中心として認識し、周縁の人びとを夷狄として疎外し、その生活文化を中央=文明との対比において野蛮化してゆく。「蝦夷」の「蝦」はエビの意で、長い髭を象徴します。ゆえに「蝦夷」とは、長髪・長髯の夷狄のこと。『日本書紀斉明天皇5年(659)7月丙子朔戊寅条所引伊吉博徳書では、服属した蝦夷を連れて唐帝に謁見した遣唐使が、蝦夷たちについて、「姿形は人と異なり奇怪で、住居はなく樹林の下に止住する」と表現しています。これらは中国の夷狄観とその表現を引き写しており、必要以上に未開性を強調したものといえるでしょう。そののち、時代が降ると「蝦夷」の内実は変化し、中世には東国の武士を指す場合も出てきますが、アイヌと交易を行った松前氏を「蝦夷大王」と呼んだように、近世初期から蝦夷アイヌとが重ね合わされてゆきます。アイヌ絵に描かれる彼らの姿は、『日本書紀』の蝦夷イメージと同様であり、アイヌの印象は蝦夷のそれに起源すると考えられます。