松前藩は、なぜアイヌとの良好な関係を保とうとしなかったのでしょうか?

もともと松前藩の側に中華思想的な夷狄観があり、アイヌに対する優越性が存在したことは確かです。そこへ東北の不作を契機とする財政の逼迫があり、藩政を維持するために抑圧的な態度を取らざるをえなかったのでしょう。環境史のところで言及しますが、実はシャクシャインの戦いの背景をなす東北の不作、クナシリ・メナシの戦いの契機をなす飛騨屋の材木商としての活動などは、すべて中世末期から江戸中期にかけての大きな環境の変質に基づくもので、松前藩も時代・社会の波に翻弄されたのだとみなすこともできます。