クナシリ・メナシの戦いについて、松前藩は約束を反故にして和人殺害の実行犯たちを処刑しましたが、幕府による直轄化はその事実を隠蔽するためだったのではないかとも思います。そうした意図はなかったのでしょうか?

江戸幕府のあり方は、一応は各藩を統率管理する日本政府としての体裁を持っていますが、もとは戦国大名同士としての競合関係を基盤にしています。幕府の初発期、各藩に些細な瑕疵を認めて取りつぶしを行い、その武力・財力を削減していったように、彼らには松前藩の罪状を隠してやる必要性はありません。クナシリ・メナシの戦いの10年後、1800年前後から、幕府は直轄領化した蝦夷地でアイヌ同化政策を開始し、和名の付与も行ってゆきます。ロシアに対する警戒と蝦夷地から上がる利益の確保、それらを安定化するためのアイヌへの配慮などがあってのことで、むしろ松前藩の罪状を喧伝し幕府の措置を正当化する必要のほうが大きかったと思います。