「戦前への反省」という日本人の言葉には、日清戦争や日露戦争は含まれていないように思えます。なぜこのような区切りが発生してしまうのでしょうか。

やはり、授業でお話ししたような司馬史観、別のいい方をすれば明治礼讃史観が極めて強い、ということでしょう。19世紀後半のアジアは欧米列強による植民地分割の舞台となっており、日本もいつその対象になってもおかしくなかったけれども、明治維新によって急速に近代化し何とか危機を免れた。そうして日清戦争日露戦争を通じて、アジアの弱小国が、伝統的な大国やヨーロッパ的な帝国主義に対抗できることを示し、アジア解放の端緒を開いた。そういう考え方が深く根付いているということでしょうね。もっと端的にいえば、日中戦争以降はやり過ぎたけれども、それより前はアジアの正義を代表していたのだ、というわけです。この考え方は、倒幕側の「志士」たちを英雄視する通俗的歴史観とも密接に繋がっており、小説やテレビドラマ、映画などを通じて日々強化されています。しかし、それが誤りであることはこの授業で示したとおりであり、併せて明治維新を全面的に肯定する考え方、そしてもちろん日中戦争以降の帝国日本の〈正当性〉についても、より厳しく再検証しなければならないことが想像されるのです。