日本兵に朝鮮への蔑視があったということですが、それはなぜなのでしょうか?
もちろん、統一新羅以来の半島を仮想敵国とする考え方(それは例えば、天然痘の起源は挑戦であるなどの民俗知を生みだし、根付かせてゆく)の影響もあるでしょうが、直接的には、明治18年(1885)に発表された福澤諭吉の「脱亜論」や、その背景にある政治的問題が作用していると考えられます。福澤は朝鮮を急進的に改革しようとする独立党の人々と親交を結び、支援しましたが、前年に起こされたそのクーデターは清国の介入により失敗し、その主要メンバーは家族もろとも処刑されてしまいます。福澤はこの事件に激怒し、未だ「旧弊」のなかにある朝鮮や清を痛罵し、決別を呼びかけたものと考えられています。こうした見方は、むしろ欧米列強においては一般的であったようで、日本や中国、朝鮮の奥地を探査した女性旅行家のイザベラ・バードも、その紀行文のなかで、朝鮮の人々に対して「怠惰」のレッテルを貼っています。