環状列石について、最終的に人骨のない場になってゆくのは、やはり人骨への忌避が持続しているからでは?
授業ではお話ししませんでしたが、縄文中期、巨大集落が一度解散してまた再集合するような場合に、幾つかの人骨を合葬した再葬墓が登場します(茨城県中妻貝塚、千葉県祇園原貝塚、千葉県宮本台遺跡など)。分散した「家」の象徴である祖先=人骨を、人びとが持参したまま移動しており、結集に当たってひとつにまとめることで、また「家」の紐帯として機能させようとしたものと推測されています。環状集落ではありませんが、これも頭蓋骨を環状に配置した形跡がみられ、再生の祈りを込めた埋葬形式であったともみられます。縄文時代も地域的多様性は大きいので、一括りに人骨への意識の変化をまとめることはできないのですが、一時期確かに忌避よりも親愛性のほうが勝った頃があり、それを契機として、かつては骨と不可分だった祖先の神霊が、具体的なモノを離脱し、より抽象化された姿へ転換していったのではないかと思います。つまり、骨は祖先の宿る聖遺物から、新たな段階では「抜け殻」に過ぎなくなってゆく。そうすることで、神霊は墓地以外にも勧請できる、祭祀できる自由な存在となる。必ずしも、骨に対する忌避感だけで「離脱」が起こったのではないでしょう。