大湯遺跡の土偶は、なぜ女性がモチーフであると分かるのだろうか? 人間かどうかすら怪しい。

縄文時代土偶は、草創期から晩期までの1万年ほどにわたって、本当に多様な形状、大きさのものが発見されています。それゆえにその機能、役割についても、一括りに定義するのではなく、時代・地域による多様性を認めたほうがよい、という見解が最近強くなってきています。それでもあえて大まかな傾向を出してみると、最もいまの造形感覚に近い人間らしさがうかがえるのが中期や後期で、草創〜前期/晩期にはかなり抽象的な形状のものが多くなっています。推測になりますが、草創〜前期の抽象性は造型技術の未熟さから来るもので、晩期のそれは神観念自体の抽象性に基づくのではないでしょうか。いずれまた授業でもお話ししますが、そのなかで全体に関わる共通点は2つ。1つは、全出土例のほぼ9割が女性であり、乳房や生殖器、腰部のくびれや臀部の突出が多く表現され、場合によっては妊娠した姿を写したものも存在すること。そしてもう1つは、やはり全出土例の9割ほどが、故意に破壊された状態で発見されることです。この2つは、ともに土偶なるものの機能、扱い方の根幹に関わる要素だと考えられています。

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土偶変遷図(渡辺昌広「精霊の姿:縄紋の神」、大阪府弥生文化博物館編『縄紋の祈り・弥生の心』同館、1998年、25頁)、