王権が成立したのが3c半〜4c後半と、中国に比べて遥かに遅いのに、日本はなぜ独立を維持できたのでしょうか?

いろいろ複雑な要因があるとは思いますが、まずは地理的な条件でしょうね。中国王権にとって、どのような地勢の島で、どのような産物(農作物から鉱物まで)があり、どのような国や共同体が存在し、交通することがどれほどの利益になるかが正確に想定されなければなりません。そのうえで、海を渡って軍隊を派遣し、これを制圧して、人員を配置し統治する…それだけの労力と財力、時間を消費して、属国にする必要があるかどうか。中国王朝にとって、日本列島は常に辺境の夷狄であるには違いないので、(朝鮮半島にまで版図を拡大し、実際に倭の水軍と戦った唐や、東西に巨大な帝国を作り上げたモンゴル/元を除いて)概ね、属国にするだけの労力を費やす必要はない国、政治的に利用できれば充分な国、という位置づけだったと思います。ただし、呉の孫権は、黄龍2年(230)、衛温と諸葛直に「夷州」「澶州」を調査させており(失敗に終わる)、前者は台湾もしくは日本なのではないかと推測されています。呉の東シナ海に対する支配は拡大しつつあり、その触手が列島にも及んでいたことは、「赤烏」年号を持つ銅鏡が出土していることからも確認できます。