なぜ、時代によって墓の形式が変わるのでしょうか?
現代の日本でもそうですが、墓が必ずしも個人のみによって作られるものではなく、社会的な産物であるため、時代の移り変わりを映す鏡になっているためです。例えば現在では、かつて近代の家制度を反映して主流であった家族墓に対して個人墓が増え、また樹木葬を中心とする自然葬などが流行しています。近代から戦後にかけても、土葬から火葬への変化により大きな墓の形式の変質、社会の受け止め方の変質がありました。弥生時代から古墳時代にかけては、庶民の墓についてはあまり大きな変化はなかったとみられています。しかし、すでに縄文時代に墓地が死と再生の場と認識され、人々を繋ぐ祖先が観念されたように、死者は単に過去のものではなく、現在の社会に何らかの形で利用される存在となっていました。弥生時代の墓のうち、社会の変質によって突出した首長となった人々のものは、その個人の遺体に大きな霊的な力が宿っていると考えられたり、あるいはその力を利用して権威を得ようと考えた人々によって、他の墓とは隔絶したさまざまな仕掛け(規模、形式、副葬品など)が施されてゆく。すなわち、時代や社会によって墓の果たす役割が異なるために、その形式が変化してゆくのです。