神=人というのは、神が降ったのでしょうか、人が上がったのでしょうか?

面白い質問ですね。なかなか回答が難しいのですが、必ずしも上下の地位関係ではなく、質的に近づいたということができるでしょう。縄文時代の終わり頃には、授業でも触れたように、祖先らしきものへの信仰が始まっていました。後ほどまた扱いますが、縄文時代の〈宗教〉の内実は、死と再生を繰り返す自然のサイクルそのものにあったと思われます。それゆえに、縄文の信仰の対象となるようなもの、祭祀の痕跡と思われるようなものには、円環が象徴的に配置されている。祖先を祀ったらしい環状集落の墓域、環状列石、それから遺骨を再集積した再葬墓、いずれも円環がみられます。これは、祖先が自然神と同様のものと考えられていた、別の言い方をすれば、大きな自然信仰の枠組みのなかにヒトの神霊も組み入れられていた、ということでしょう。また、祖先が集合的なものであることもポイントです。その聖なる祖先が、共同体のまとまりを保持する機能を果たしていたわけです。これに対して古墳祭祀は、個人もしくは単一の一族を崇拝するもので、階層化された社会の頂点に立つ首長が、その生前においては死者=父祖=神霊の力を借りながら君臨し、死後においては自らの血類を支持する神霊となる、舞台空間を創出します。社会を守護するというより、権力を正当化するものといえます。その意味で、縄文から古墳時代にかけて、カミのあり方は具体化、個別矮小化し、力自体も主役から支持する側へ後退したといえます。質的な相違があるので一概にはいえませんが、ヒトの力はカミへ近づき、カミの表象はヒトに近づいたということになるでしょう。