白村江の戦いなどで異国と戦ったことにより、「日本人」というアイデンティティーは確立されたのか? また、境界線が曖昧だった東北に対してはどうだったのだろうか?

われわれがいま考えるような〈日本人〉というアイデンティティーが成立するには、奈良時代の三国伝来思想、中世の神国思想、近世の国学などいろいろな画期がありますが、やはり社会一般において構築されてゆくには近代を俟たねばなりません。古代においては、もちろん、倭人新羅人百済人、高(句)麗人、唐人といったカテゴリーはありましたが、例えば百済加耶にも倭人の豪族・官僚がおり、ヤマト王権にもたくさんの渡来人、渡来系氏族が参画していました。古墳時代以降、政治的なレベルでは種々の統一が行われていたとはいえ、未だ各地は国造が委任統治する私領のようなものでしたので、現在よりもさらに多様な、地域ごと、氏族ごとに細分化されたエスニシティーが存在したはずです。現在のような大きな、しかし排他的なナショナル・アイデンティティーの類は、未だ構築されていなかったと考えられます。