藤原京についてですが、石材も離れた場所から運搬されてきたのでしょうか? 低湿地帯に石切場がある印象がないのですが…。

最初の中国的都城である藤原宮の大極殿は、土で固めた基壇表面を加工石材で装飾した、切石積基壇をもちいた最初の宮殿でした。斉明朝以来の飛鳥京の荘厳、あるいは重要な墳墓の造営においては、同地ともほど近い河内との境界に位置する、二上山の凝灰岩が頻繁に使用されてきました。軽量軟質で運搬や加工に最適であったためですが、しかし強度の面では問題を抱えていたようです。藤原宮にもこの二上山の凝灰岩が用いられていますが、それとは別に、兵庫の加古川右岸で産出する流紋岩質凝灰岩、竜山石の使用も認められます。これは古墳時代以来、石棺の素材として使用されてきましたが、強度はあるものの加工がしにくいため、飛鳥時代に入ってあまりみられなくなっていたものでした。同石は、その後平城宮や恭仁宮の大極殿にも確認されますが、調査によって、藤原宮で使用されたものが解体再利用されたと判明しています。ところで、近年の奈良文化財研究所の研究によって、出土した竜山石の石材のなかに、表面に日付を墨書したものが発見されています。これは、石切場から切り出された石材の、出荷の日付を書き込み管理の指標としたものと推測されています。