天皇による開発事業が天皇の神性を生み出す結果となったと理解したが、世界史的にみて開拓や灌漑は支配者に神的要素を与えるものなのか。現実に開発を行う人民の存在は、そうした言説の妨げにならないのか?

まず、中国において最初の人間の王朝=夏を開いたとされる禹王は、中華全土の治水に成功したため、帝舜から禅譲を受けて即位をしたとされています。古墳時代のところでも言及しましたが、水をコントロールすることが王権を生み出す、あるいは強化することは、神話や歴史記述のなかに常套的に現れてきます。日本では、藤原京以前の段階から、王権を強化するために〈神殺し〉の言説が使用され始めます。これは、やはり中国の志怪小説や仏教説話などに由来する形式で、自然を表象する神格を人間の知恵・力で打倒することにより、開発を達成するというものです。例えば『日本書紀仁徳天皇11年10月条では、淀川水系の余水を瀬戸内海へ流す水路「難波堀江」の工事に関する神殺し伝承が載せられています。ここでは、工事に際し幾度も決壊をしてしまう堤について、天皇が河の神(河伯)から、「武蔵国の人強頸、茨田連衫子を捧げれば工事は完遂する」との夢告を受け、2人を探して供犠を行おうとします。強頸は諦めて自ら水中へ身を投じますが、衫子は手にした瓢箪を河へ投じ、「これを水中に沈めることができれば、真の神と認め身を捧げよう。しかし沈められなければ偽の神であり、いたずらに我が身を犠牲にはしまい」と叫びます。瓢箪は波のうえを変転しますがついに沈まず、衫子は供犠されることなく堤を完成させた、……というものです。茨田連は渡来系の技術を結集し茨田屯倉の経営に当たっていた氏族で、衫子の〈神殺し〉には、王権直轄の知識・技術・労働力を動員した開発の先進性が反映されているのです。やがてこの形式は、〈天皇〉が持ち出されることにより、神々がその権威の前に屈する形に整理・展開してゆきます。例えば、同じ『日本書紀推古天皇26年是年条では、安芸国で造船事業を監督していた河辺臣の伝承が載せられています。河辺臣が落雷のあった樹木を伐採しようとすると、在地の民衆が「神の宿る木であり、伐れば祟りがある」と反対する。河辺臣が、「たとえ雷神でも天皇の命令には逆らえない」と躊躇せず伐ろうとしたところ、複数落雷があったものの、ついに彼を傷つけることはできなかった。雷神は小さな魚の姿になって木に挟まり、河辺臣はこれを取って焼いてしまった…。全国で行われた大規模な開発現場では、このような説話、歌などが常に語られることで、神の地の侵犯を怖れる一般民衆の心性を、次第に作り変えていったと考えられます。