日本は小帝国としての位置づけを目指したとありましたが、小帝国もしくは帝国とは、当時どのようなものを指していたのでしょうか?

以前にも類似の回答をしましたが、自身の直轄する王国の外部に、複数の小国、異民族などを従える規模の国家を〈帝国〉と呼称します。中華王朝は、春秋・戦国時代に割拠した群国が秦によって滅ぼされ、初めて統一的な帝国が誕生します。しかし、その内容は続く漢帝国のほうが充実しており、中華諸地域には王族が君主として封じられたほか、羌や氐といった少数民族、西域の匈奴などの異民族も支配体制下に包括していました。中華王朝は、理念的には四方の辺境にある四夷(東=東夷、南=南蛮、西=西戎、北=北狄)を従え、文明を持つものへと教化し、支配領域へ組み込んでゆくことを理想としています。日本もそれに倣い、西南の隼人、東北の蝦夷を夷狄に設定、小規模ながら、中華帝国の枠組みを継承してゆくことを目指したのです。