春時祭田の郷飲酒礼の話は面白かった。一般の人々は、道徳を、それぞれの時代でどのように身に着けていたのだろうか。

道徳、倫理はよいものだという認識があるかもしれません。社会学的に考えれば、それは、社会を構成している人びとが相互にトラブルを起こさないよう、予め調整するための仕組みです。国家や王権、権力との関係でみるならば、統治しやすい安定したピラミッド構造を形成するための方法です。日本の古代国家が受容した儒教などは、まさにこの両者を一体化させた道徳であり、倫理です。この奈良時代に至る時期には、私たちが「太古の昔からある」と考えている感性や身体性が、新しく構築されています。例えば、香りに関する感性。奈良時代以前の文献には、これを表現する語彙が極めて単調ですが、平安時代にかけて、急速に増加してゆきます。大きな画期は、仏教の焚香が伝来したことと考えられています。また、友情や愛情といった感情も、奈良時代とそれ以前とでは違うものになっています。例えば元来のトモは、氏族制的共同体における奉仕の一形態を指したようですが、奈良時代以降の官僚制のなかで、氏族を離れた同等の個人が抱く同朋意識として発達してゆきます。こちらも、中国から伝わった詩文の影響が大きいと考えられています。いわゆる家父長制的な発想も、高位階級から次第に浸透してゆきますが、鎌倉時代に至るまで、庶民の間には未だ女性家長なども存在しました。各時代に、たいていは支配と結びついた社会の安定化のために、必要な道徳・倫理が知識人の手によって喧伝され、教育されてゆく。政府から村落に至る行政の仕組みが用いられる場合、寺院などの教化機関が用いられる場合などさまざまですが、(それは「文明化の過程」なのかもしれませんが)そこで失われてゆくもの、変わってしまうものがあったことにも注意が必要です。