和同開珎以前に富本銭という貨幣があったと思うのですが、これはどのような目的で使用されたのですか?

天武朝に使用され始めた当時は、鋳造量もさほど多くはなく、経済的な役割より呪術的な機能、すなわち〈厭勝銭〉としての性格が強かったと考えられています。モノやコトを仲立ちする貨幣なるものの機能は、アジアにおいてそれが発生した古代中国の殷帝国の段階から、何らかの宗教的な色彩を帯びてきました。以前、ぼくの民俗学の師匠新谷尚紀氏(「チコちゃんに叱られる」によく登場しています)も、「貨幣は死を象徴する空虚である」という文章を書いています(広瀬和雄編『支配の古代史』所収)。富本銭は、「富民の本は貨殖にあり」という漢代の思想を援用しているので、完全に呪術目的で作られたものではないでしょう。しかし貨幣は、中国でも現在に至るまで他界との交渉に使われていますし、日本でも「三途の川の渡し賃として死者に貨幣を持たせる」といった習俗が広く存在しました。たとえ経済的機能を中心に据えたとしても、貨幣から他界性・呪術性を一切拭い去ることはできないでしょう。