倹約令が効果を持つのは、商業と流通が発達し、消費社会が一定の広がりを持ってからだと思います。奈良時代にも、商業・流通に根差す消費行動はありましたが、それは都市を中心とする、限定された領域と階層に止まっていました。そのため、「過差」すなわち奢侈を禁止する法令は時折出されましたが、それは貴族や官僚の儒教的分際を自覚させる、社会秩序を維持するための倫理的なもので、経済的な意味づけを持ったものではありませんでした。もちろん、寺院建築、宮城建築、対蝦夷戦争など、大きな費用のかかる公共事業の抑制は行いましたが、一般の人びとの日常生活に直結するような、経済的規制はなされていませんでした。