現代人が死から遠離っているのは、なぜだと思いますか。

いろいろな説明の仕方が可能ですが、ひとつには、無痛文明のためです。この概念は、倫理学者の森岡正博さんのものですが、現代文明のある特徴を捉えたタームです。すなわち現代文明は、人間が可能な限り不快な思い、痛みや苦しみを感じないように作用する。毎日の生活でいえば、夜間の照明から始まって、エアコンなどの稼働が典型的な事例ですね。家畜の殺戮が一般の目から隠され、スーパーには「加工品」としての肉のみが並ぶのも同じです。しかし人間は、喜びや楽しみ以上に、苦しみや悲しみを通じて共同性を発揮する存在です。それゆえにこの無痛文明には、人間の共同性を阻害する、すなわち人間と人間の繋がりを分断する弊害があります。例えば、エアコンの稼働する室内で毎日快適な生活を送っていたら、極寒の地で生活する人びとの労苦、極暑の地で労働する人びとの辛苦を想像することは難しくなってゆくでしょう。私が以前、僧侶としてお通夜や葬儀、法事等々を日常的に行っていたとき、ある老婦人の葬儀に、お孫さんたちが出席しないということがありました。お母様いわく、「子供たちには、残酷でみせられない」とのこと。私は、親の最後の教育というものは、自分の死んでゆく姿を子や孫にみせることで、死の苛酷さ、哀しさ、喪失感、そして尊厳を伝えることだと考えています。肉親の死、知人の死、可愛がっていた動物の死を衝撃をもって受け止めることで、人間は他の生命への共感と、自分の生命への洞察を深く強くしてゆきます。「現代人が死から遠離っている」のは、文明や社会が死を隠蔽しているからでしょうが、その結果として、われわれが生からも遠離っているのが怖ろしい。生/死は表裏一体なのですから。