古墳時代のアニミズムは、日本での多神教の発展となにか関係があるのでしょうか?

通説的にはそうなりますね。しかしもう少し考えたいのは、アニミズムにも各時代ごとに相違があり、情況が異なるということです。「多神教」という言葉でよく引き合いに出されるのは「八百万の神」であり、一般には森羅万象に宿った神霊などともいわれます。しかし、『古事記』や『日本書紀』に描かれた神話の段階で、彼らは単なる自然環境の表象ではなくなっています。例えば、二書と同じ時期に創られてゆく宮廷祭祀、国家祭祀の祝詞の詞章には、「もともと地上では草木が言葉を話していたが、天孫が降臨することによって、草木は反問することを止めた」といった表現が頻出します。草木言語とは、この場合、王権が成立する以前の無秩序な状態を表象しています。それこそが、森羅万象に人間と同じ霊魂の宿るアニミズム、あるいはそれらを神格として信仰するパンセイズムの状態です。それに対して草木が言葉を止めた状態は、天神を頂点とするヒエラルヒーが設けられ、自然を表象する神霊、とくに植物に宿る神霊が下位のものとして貶められています。もともとヤマト王権に集った人々は、原初に神々が生まれてくるさまをアシカビ、すなわち低湿地から葦の芽が萌え出る様子に譬えて表現しました。それと比べると、アニミズムとしてはずいぶんと後退してしまった、人為的なもの、ヒト至上主義に近づいてきてしまったともいえます。