アニミズムの神々には、何らかの自然事象を象徴する神でもありながら、また別の何かを表象する神である、ということが多いように思います。古代人は、現代人とは違った概念で自然をみていたのでしょうか。
もちろん、ある程度近代科学を介して自然をみているわれわれと、古代的な論理で世界を把握している当時の人々とは、考え方も感じ方も異なっていたとみられます。例えば(これまでにもいろいろ言及はしてきましたが)、列島を含むアジア地域で最も多様な神格として現れるのは、やはり蛇神です。奈良県の大神神社は、列島で最も古い神社のひとつといわれていますが、その祭神である大物主神は、『古事記』や『日本書紀』、『日本霊異記』などによると、蛇の姿をしており、男根の象徴でもあり、三輪山の神格化であり、また天から落ちた雷神でもあります。蛇は低湿地帯に棲息することから、多く水神の属性を持っています。そこから派生して、雨の神、雷の神とされてゆく。群馬県の内匠日向周地遺跡からは、「蛟が龍王に奉る」と墨書された木簡が出土しており、低位神格の蛇神:蛟へ、上位神格の蛇神:龍王に、人間の雨を祈る願いを中継させた木簡であると考えられています。蛇は再生象徴ですので、形状からも男根と重ね合わされますが、雷神の属性にはその形状も関わりがあります。雷をイナヅマと呼ぶのは、大地への落雷を性交渉の暗喩とし、豊かな稔りを生み出すものとみなされためです。いろいろな要素が雑然と集まっているようにみえますが、そこには古代的論理が一貫しているのです。