歴史上、絵巻や文書などで、黄泉国はどのような捉え方をされ、どのように描かれているのでしょう。
残念ながら、人口に膾炙している割に黄泉国の史料は少なく、恐らく絵画として描かれたものはありません(装飾古墳の壁画を黄泉国といってよければ、それだけです)。絵画資料が発達してきたときに、同時に仏教も大きく展開し、とくに平安時代の源信撰『往生要集』によって地獄と極楽のイメージが確立、絵巻や掛け軸などがそれを題材に他界を描いたためです。とくに、聖衆来迎寺蔵の国宝『六道絵』や、東京国立博物館・奈良国立博物館蔵の国宝『地獄草紙』には、八大地獄の残酷な光景が克明に描写されています。奈良末期〜平安初期に成立した、日本現存最古の仏教説話集『日本霊異記』には、ちょうどヨハネの黙示録のような(あるいは『千と千尋の神隠し』のような)冥界訪問譚が収められていますが、そこでは閻魔王の登場する地獄を「黄泉国」として描いており、ヨモツヘグイについても記されています。黄泉国は仏教的他界が浸透する受け皿になったと思われますが、その具体的な姿については、失われてしまった部分が大きいようです。