腐ったイザナミの身体には、なぜ雷神が成っていたのか。神が体に発生するのは悪いことなのか。 / 死者にも生者にも一緒に行けないことを分からせるというのは、お葬式から帰ったとき、家に入る前に塩を撒いたりするのと関係があるのでしょうか?

授業でもお話ししましたが、落雷は稲作における豊穣のシンボルであると同時に、巨大なエネルギーを持ち実質的な被害も生む、「怖ろしいもの」の代表でもありました。イザナミの身体に雷神が成っているというのは、体の各所が「ものすごい状態」、具体的には腐乱が著しい状態になっており、それを、「巨大なエネルギーを持つ雷神が幾つも宿っている」と表現したものでしょう。神が神を宿すこと自体は、そもそもイザナミが日本列島に関わるさまざまな神々を産み落としていったわけで、悪いことではありません。『古事記』では、黄泉から帰還したイザナキがそのケガレを落とす際、アマテラス・ツクヨミ・スサノヲの三貴神が生まれています。なおこのケガレは、10世紀の『延喜式』で制度化され(ケガレの程度や感染、解除の過程・仕組みなどを成文化してもの)、中世を通じて被差別部落をも生み出してゆくようなケガレ文化とは異なり(特定の人々に実体化され、解除不可能となったもの)、直感的なプリミティヴなものです。しかし、上にも書いたように、ベクトルを転換することでカミをも生み出すようなエネルギー体でもありました。現代の葬儀に使用される塩は、『延喜式』のケガレ文化に連なるものですが、いわば死や死者をケガレを生み出すもの、生者に害をなすものとの発想を持ち、葬儀従事者への差別をも醸成する危険を持つので、宗派によっては使用を認めていないところもあります。