久志富佐子さんの釈明文を載せたということは、『婦人公論』はニュートラルな立場かと思ったのですが、筆を折られたということは、『公論』も本土の考えに寄っていったのでしょうか?

授業では筆を折らざるをえなかったとお話ししたのですが、厳密には、久志はその後も名前を変え、短歌や小文を発表しています。しかし作品数としては多くはなく、内容もあまり振るいませんでした。40年後にかつてを回顧して行われたインタビューでは、筆禍事件となってしまったデビュー作の衝撃について、「マスコミが恐くなりましたし、今でも恐い」と発言しています。水谷明子氏の論文「近代沖縄女性と書くこと」(『沖縄文化研究』32、2006年)では、読者からの反響を得て自らの文学を形成してゆく大事なときに大きな抑圧を受け、そのトラウマから最後まで抜け出すことができなかったのだろう、と指摘しています。