生態系の利用から生命の改変を行うようになったというのは理解できたのですが、国家はともかく宗教の核になったというのがよく理解できませんでした。

詳しくは谷泰さんの『神・人・家畜』や『牧夫の誕生』を参照していただきたいのですが、まず誤解があって、「生命の改変を行うようになった」ことが国家や宗教の核にんるのではなく、「生態系の利用」の時点、すなわちドメスティケーションの発想と知識・技術、組織のあり方そのものが、国家や宗教の展開に繋がっているということです。すなわち、家畜の群れの動きをコントロールする(そのためには家畜の性質、個々の正確をよく理解し、必要な誘導を行わねばならない)、数量をコントロールする(牡の去勢、必要なときに出産させる、そして屠殺する)ことなどを、ある程度そのままに人間に適用し、王や神のもとに奉仕する集団を作り上げていったのが、西アジアに始まる古代国家、ユダヤ教キリスト教の起源だというわけです。それゆえに、後者にはいまだに羊/牧夫のアナロジーが、人間と神、預言者との関係のなかでそのまま使用されている。もちろん、宗教のなかには牧畜に由来しないものもありますが、ユダヤ教系統のものにはその性質が顕著に認められる、という考え方です。